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ラクロスの起源と歴史②

近代から「SIXES」ができるまで

2024年3月5日

前回は、ラクロスの起源からスポーツとして成立するまでのお話をしました。

ラクロスの起源は、北米の先住民たちの儀式や戦争の訓練として行われていた競技でした。

それが、白人によってラクロスと名づけられ、スポーツの形になったのは1830年頃とされます。

1860年代には、ルールの整備が進み、先住民を含む北米のチームがヨーロッパへ遠征したりということもあったようです。

1876年には英国のビクトリア女王が観戦し、"very pretty to watch." とコメントしたとの記録も残っています。

▼ Kahnawake Lacrosse Club, Montreal, QC, 1867 (出典: World Lacrosse)

▼1890 St. Leonards Women’s Lacrosse Team, 世界初の女子ラクロスチームと言われる (出典: World Lacrosse)

▼1904年セントルイスオリンピックの優勝チーム (出典: World Lacrosse)

 

20世紀に入ると、ラクロスはヨーロッパでも人気スポーツとなり、1904年のセントルイス、1908年のロンドンでは、オリンピック種目としても採用されました。

LA28は、この1908年のロンドンから数えて、120年ぶりの復活!と言っているわけですね。

その後、競技団体ができ、国際大会も整備され、ルールや道具の変更がありながら、ラクロスはスポーツとしての発展を遂げていきます。

 

 

その歴史の中で、現在まで常にラクロスと歩み、貢献してきたのが「ホーデノショニー」の存在です。

ホーデノショニー。聞いたこと、ありますでしょうか? ちょっと不思議な響きですよね。

ホーデノショニーはニューヨーク州北部のアメリカとカナダのまたがった地域に保留地を持つ6つの先住民族の連合体。最近までイロコイとも呼ばれていました。

ここがラクロス発祥の地とされており、世界大会では、競技創始者への敬意を込めて、アメリカとカナダとは別でホーデノショニーとしての代表チームの出場を認めてきました。

なかなかの強豪で、男子の世界ランキングはアメリカ、カナダに次ぐ3位につけています。(ちなみに、女子は8位)

しかし、2028年のロサンゼルス五輪は出場が認められるか、まだ決まっていません。ホーデノショニーこそ、ラクロスの文化を象徴していますし、多様性という点でも出場がかなえばと思いますが、どうなるでしょうか。

▼ホーデノショニー代表チーム(男子)、髪を結わいて後ろに垂らす伝統的な髪型の選手も

 

さて、LA28のラクロスといえばSIXESですね。

簡単に言えば、現行の10人制に対して、6人制のラクロスです。

これは、国際的なラクロスの統括団体であるWorld Lacrosseによって、LA28での採用を主な目的として開発されました。

オリンピックで採用となるためには、広く普及していく競技である必要があります。

その為に、参加の障壁を低くし、ゲームが成立しやすいようプレーヤー数を減らしました。

また、観戦の楽しさも重要です。そこで、30秒ルールを採用し、ゴールの後もドロー/フェイスオフではなく、ゴーリーからのスタートと、ルールが変更されました。

バスケットボールのルールを取り入れて、展開の早さを特長にしようとしています。ちなみに、今年から10秒ルール*も加わる方向で調整が進められているようです。

*攻撃側はバックコートからフロントコートへ 10秒以内に入らないといけない

 

ところでこのSIXES、競技フォーマットの開発にひとりの日本人女性がかかわっていること、ご存じでしたでしょうか?

そう、あの山田幸代さんです。日本初のプロラクロスプレーヤーとして有名ですよね。

ちょっと長くなってきましたので、、

詳しくは、こちらの新聞記事をお読みください!